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久保建英バルセロナ時代からの経歴と生い立ち Takefusa Kubo
日本A代表注目の久保建英(くぼたけふさ) 今や誰もが知っているプレイヤーであって、近い将来日本A代表の10番は彼のものになります。
彼の経歴は輝かしいもので、当時13歳の頃にスペイン紙で19人のニューメッシの見出しで選出されています。当時アジア人では彼一人となる偉業です。
その後、順調に成長をし若くしてプロになり各年代の日本代表を飛び級し
現在は各海外紙でもレアルマドリード、バルセロナ、パリサンジェルマンといったクラブから注目を受けています。
その輝かしい経歴をどこまで伸ばせるか大注目の選手です。
久保建英のプロフィール
[写真]バルセロナラマシア時代の久保建英
・神奈川県出身
生年月日:2001.6.4
身長/体重:173cm/63kg
血液型 A型
ポジション:MF・FW
利き足:左利き
2人兄弟の長男
Jリーグ初出場 2016/11/05
Jリーグ初得点 2017/04/15
FC東京でのプロフィール
背番号:15
身長/体重 173cm/67kg
久保建英 のプレースタイルと評価
ニューメッシと呼び名の高い、久保建英 。彼の特徴はハイレベルなドリブルから周囲を生かすしつつ、得点力も兼ね備えた現代サッカーにおけるパーフェクトなプレイヤーです。
メッシではなくイニエスタだ!といった周囲の評価もありますが、イニエスタ以上に得点の意識があり、なおかつ左足のキックは既に世界でも通用するレベルに達しています。
かなり貧欲にゴールを目指すので、ゴールハンターとも言えます。
ですから、イニエスタよりメッシの方がしっくりきますし、10番の似合うメッシタイプの選手です。
横浜Fマリノスに期限付き移籍した当時もFC東京からの評価は高く、守備面が強化されればスタメンと言われていました。そして、約半年の期限付き移籍でその守備面を克服。頭もよく吸収力も早いのが彼の特徴です。
怪我もせず、吸収も早く頭も回転も早い。そして、しっかり身長も体重も増えている。サッカーに関わってる方から見ても信じられない成長の仕方をしていますよね。普通であれば成長過程で何かしら欠けてしまうのですが・・・弱点らしきものがありません。まさに天才と言える逸材です。
そして今の日本代表は転換期に入っており、そういった幸運の下に生まれています。実際に今の日本代表は彼をすぐでも使ってみたいはずです。
2020年のオリンピックに集中させるか
もしくはA代表に呼ばれてもおかしくない活躍を見せています。
彼は長男であり、弟もいます。彼の弟も注目です。
選手としての経歴、生い立ち
2004年 - 2005年 坂浜サッカークラブ
2006年 - 2007年 百合ヶ丘子供サッカークラブ
2008年 - 2009年 FCパーシモン
2010年 - 2011年 川崎フロンターレU-10
2011年 - 2015年 FCバルセロナ ユース
2015年 FC東京U-15むさし
2016年 - 2017年 FC東京U-18
2016年 - 2017年 FC東京(2種登録選手)
プロでの経歴
2017年11月 - FC東京
2018年8月 - 2018年12月まで 横浜F・マリノス(期限付き移籍)
2019年 FC東京
日本代表経歴
U-15日本代表
バル・ド・マルヌU-16国際親善トーナメント(2015年)
U-16日本代表
スポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)プログラム 中央アジア・日本 U-16サッカー交流大会(2016年)
International Youth (U-17) Four Countries Football Tournament(2016年)
U-16 インターナショナルドリームカップ2016 JAPAN Presented(2016年)
AFC U-16選手権2016(2016年)
U-17日本代表
サニックス杯国際ユースサッカー大会(2016年)
第24回バツラフ・イェジェク国際ユーストーナメント(2017年)
2017 FIFA U-17ワールドカップ(2017年)
U-19日本代表
アルゼンチン遠征(2016年)
ロシア遠征(2018年)
メキシコ遠征(2018年)
AFC U-19選手権(2018年)
ブラジル遠征(2018年)
U-20日本代表
ドイツ遠征(2017年)
2017 FIFA U-20ワールドカップ(2017年)
U-21日本代表
ドバイカップU-23(2018年)
U-22日本代表
AFC U-23選手権2020 (予選)(2019年)
出典:wikipedia
川崎フロンターレ時代の久保建英
[写真]川崎フロンターレ時代の久保建英
小学校4年生、川崎フロンターレでのプロフィール。
身長/体重 135cm/33kg ※2011年4月時点
2009年8月に、FCバルセロナサッカーキャンプでMVPを授与され、当時の彼は8歳で参加しました。
2010年4月、FCバルセロナスクールチームの一員として選ばれ、ベルギーで開催されたSodexo European Rusas Cupに参加。
彼のチームは3位で終わったにもかかわらず、彼はMVPを授与されました。
帰国後、川崎フロンターレジュニアユースチームでプレーしています。
この当時、各メディアでも取り上げられており、テレビでも何度も紹介されていましたね。当時の番組では、小3とは思えないキック精度を誇っていました。
川崎フロンターレでの記事
当時、チームを率いていたFCバルセロナ カンテラコーチであるオスカル・エルナンデス氏(当時はスクールコーチ)の推薦により、2011年4月に3週間にわたるFCバルセロナの入団テストに参加し、見事合格した。
2009年11月に2010年度の新小学校3・4・5・6年生を対象とした「川崎フロンターレ ジュニアセレクション」を小学校2年生で受験。1次で合格。
(全学年で約600人が参加。新小学校3年生での合格は久保建英選手を含め、全3名)
2010年4月より川崎フロンターレU-10に所属。4年生となった2011年5月からはU-12(6年生)と一緒に練習中。
lamacia(ラマシア時代)の経歴と評価
[写真]バルセロナの選手として来日した久保建英
U12ジュニアワールドチャレンジ2013にて来日
背番号11番、優勝を経験
当時バルセロナのInfantile Aに所属し、その年代のスターストライカーと君臨しており、周囲からも高い評価を得ていました。
帰国することになったのはバルセロナがFIFAにより移籍の制裁を受けた事により帰国せざる得なく、バルセロナや周囲からは高い評価だったことがうかがえます。
FCバルセロナユースアカデミーでの経歴
2012- 13シーズン
FCバルセロナのセレクションに合格後、ユースアカデミー、ラ・マシアに招待。
Barca Alevin C(U11)でプレー。リーグ戦では30試合で74ゴールでリーグ得点王。
2013年- 14シーズン
地中海カップU12トーナメントでMVP。
カタルーニャカップにて優勝。
2014年 - 15シーズン
Barca Infantil A(U14)に昇格
当時のこの年代のバルセロナは相当強かったようです。
そこでスタメンかつ中心選手ですから、周囲の評価が高いのも頷けます。
U12ジュニアワールドチャレンジ2013での久保建英
当時の出場したチーム
- FCバルセロナ
- リバプールFC
- チョンブリFC
- ベガルタ仙台 ジュニア
- 鹿島アントラーズ ジュニア
- 柏レイソル U-12
- 大宮アルディージャ ジュニア
- 東京ヴェルディ ジュニア
- 川崎フロンターレ U-12
- 横浜F・マリノス プライマリー追浜
- セレッソ大阪 U-12
- 東京都 U-12
優勝:FCバルセロナ、2位:リバプールFC、3位:柏レイソルU-12、4位:東京ヴェルディジュニア
MVP:エリックガルシア 得点王(7点):アンスマネーファティ(FCバルセロナ)、ポールグラッツェル(リバプールFC)
最優秀GK:丸山虹樹
この大会での評価
この大会で凱旋した注目の久保建英の評価は、左サイドをやっていたりとFWとしてプレーは少なかったようです。縦に運ぶシーンや非凡なドリブル力を見せるシーンはありましたが、マークも厳しくあまり目立った活躍はできませんでした。
シュートシーンも少なく、この大会での日本での評価は低調でした。
ちなみに久保建英とチームメイトであるMVPを取ったエリックガルシアは、スペインU17代表となり現在マンチェスターシティに所属でカップ戦にも出場しました。久保建英とは日本で言う1つ上の先輩にあたります。得点王であるポールグラッツエルもU15、U16代表となり現在プロになっています。
久保建英は、その年代でスタメンで、なおかつ背番号も11番と良い番号をもらっていますので、FCバルセロナでどれくらい評価が高いか分かりますよね。
帰国後、力で示した存在感のある久保建英
残念ながらスペインのFCバルセロナを13歳の若さで退団し日本に帰国した久保建英選手。
それからFC東京に在籍する事となったときに周囲からは、13歳で帰国したこと、FC東京の育成組織の信頼のなさから、もしかしたら成長が止まって消えるかも知れないと・・・多くのファンは嘆いていました。
一時期は彼の話も聞かなくなる状態までなりました。一生懸命練習していますといった情報のみが入るだけでした。それは中学生年代の試合数の少なさも関係して情報が入ってこなかったのもあります。
しかし、その2年後、関係者や周囲を驚かせる出来事がありました。
中学3年生で出場したU-18プレミアリーグで、なんと得点王を取ったのです。
しかも、その得点をとった試合はフル出場ではなく残り試合15分などで投入されて得点王になったのです。
得点パターンは、正確なフリーキック、ボレーシュートと多岐にわたります。
もちろん、それが評価対象になってU16日本代表、U17、U18とグングン日本代表を飛び級し、15歳でサッカーの2種登録、そしてプロ入りしました。
大抵の選手は、中学3年生でU-18の試合に呼ばれるだけで満足します。ここが久保建英 選手と一般選手の違いなんですよね。
アンダー日本代表での久保建英
既にU20でも中心選手の一人である久保建英選手。
U15日本代表時代は、光るものがあるものの少し王様プレーが目立っていました。この部分は、FC東京で改善されましたが、当時はその気質がありました。
当時からドリブル力は周囲のレベルとは1段階レベルが違いますし、ゴールへの執着は誰よりもありました。しかしメディアや各方面からの評価が低評価が気になりました。
圧巻は、フランス戦でビルドアップからの、ドリブルシュートからゴール。
U15にして得点能力の高さを示しました。
U17では、中心選手として活躍し、U20では、あの堂安律選手にアシストなども記憶に新しい出来事です。
近年はU22日本代表で三好 康児選手との連携に期待されています。
U22でも1つ、2つの上の次元のプレーをしていた事から、もう完全に海外のトップレベルのクラブへの移籍は確定したと確信しています。
FC東京での久保建英と今後の動向
17歳にしてFC東京の中心選手として君臨している久保建英選手。
セットプレーのキッカーにも任されていて、伸び伸びプレーしてることが伺えます。
月間MVPを総なめする活躍をしているのではないでしょうか?
特に注目したのは、その守備力からの攻守の切り替え。
これは、U16日本代表時代の久保建英選手からは考えられないプレーです。
特に攻守の切り替え、守備力が向上したことで、以前にも増して攻撃力がアップしたことがうかがえます。
そして何より驚いたのはセットプレーの左コーナーキックも任されていることです。
左のコーナーキックは左利きより右利きが蹴った方が良いからです。FC東京の選手全員が彼を認めた証拠でもあります。
もはや、この時点でFC東京の中心選手ですので、もうFC東京からステップアップを考える頃になったと思います。恐ろしい17歳です。
もう彼を早熟とは呼びませんし、いつ日本のA代表に招集されるか?が注目されています。今は、彼の価値はグングン伸びています。6月にバルセロナBに所属するかは、まだ分かりませんが、少なくともバルセロナのトップチームで出場できる力を持っています。
そしてバルセロナBに行かなかったとしても、2019年シーズンが終われば海外移籍もありえると思っています。
ヴィッセル神戸でイニエスタを見る事も大事とは思いますが、久保建英選手のプレーも今年いっぱい見れるかどうかも微妙なのです。
選手としての価値は堂安律と同等、もしくはそれ以上の価値になっています。
2019年の久保建英
2019年6月にA代表デビュー、後半途中から出場し無得点に終わったが高い能力を見せつける。2019年6月14日にレアルマドリードと年俸2億円、5年契約で基本合意。
久保建英のインスタグラムやツイッター、フェイスブック
まだSNSはやっていないようです。インスタグラムやツイッター、フェイスブックなどの公式ページもまだ存在していないと思われます。
近々、公式ページが開設されるはずです。情報を待ちましょう。
久保建英のCM
現在CMは2018年のキリンレモンからCMは出ていないようです。
久保建英のスパイク
ジュニア世代は、アシックスやミズノを履いていました。
日本に帰国後はアディダスのXシリーズを履いていましたね。
そこからナイキと契約を結んで、ナイキを着用しています。
16歳にして、ナイキと1000万の契約を結んだようです。
現在もスパイク契約は、アディダスとナイキが凌ぎを削っています。
どちらも複数年契約を求めているようで、彼のような選手であれば長期契約による数億は手に入ると思われます。
久保建英の書籍
こちらは、久保建英選手のお父様の育成に関する書籍となります。
小学生年代の育成の理論と久保建英の生い立ちについて書かれています。
とにかく様々なスポーツをし、練習は理論的に取り組むといった内容で書かれています。
ただのサッカー本ではなく、子供の教育について書かれている書籍となります。
[写真]https://www.fctokyo.co.jp/players/2019/515
小学校4年生、川崎フロンターレでのプロフィール。
身長/体重 135cm/33kg ※2011年4月時点
身長/体重 135cm/33kg ※2011年4月時点
2009年8月に、FCバルセロナサッカーキャンプでMVPを授与され、当時の彼は8歳で参加しました。
2010年4月、FCバルセロナスクールチームの一員として選ばれ、ベルギーで開催されたSodexo European Rusas Cupに参加。
彼のチームは3位で終わったにもかかわらず、彼はMVPを授与されました。
帰国後、川崎フロンターレジュニアユースチームでプレーしています。
この当時、各メディアでも取り上げられており、テレビでも何度も紹介されていましたね。当時の番組では、小3とは思えないキック精度を誇っていました。
川崎フロンターレでの記事
当時、チームを率いていたFCバルセロナ カンテラコーチであるオスカル・エルナンデス氏(当時はスクールコーチ)の推薦により、2011年4月に3週間にわたるFCバルセロナの入団テストに参加し、見事合格した。
2009年11月に2010年度の新小学校3・4・5・6年生を対象とした「川崎フロンターレ ジュニアセレクション」を小学校2年生で受験。1次で合格。
(全学年で約600人が参加。新小学校3年生での合格は久保建英選手を含め、全3名)
2010年4月より川崎フロンターレU-10に所属。4年生となった2011年5月からはU-12(6年生)と一緒に練習中。
lamacia(ラマシア時代)の経歴と評価
ちなみに久保建英とチームメイトであるMVPを取ったエリックガルシアは、スペインU17代表となり現在マンチェスターシティに所属でカップ戦にも出場しました。久保建英とは日本で言う1つ上の先輩にあたります。得点王であるポールグラッツエルもU15、U16代表となり現在プロになっています。
久保建英は、その年代でスタメンで、なおかつ背番号も11番と良い番号をもらっていますので、FCバルセロナでどれくらい評価が高いか分かりますよね。